りあるぱちもんずpresents「PLAY✖️PRAY」
2/6 にシリアとの国境に近いトルコ南部で発生したマグニチュード 7.8 の地震やその後の大きな余震で、トルコ とシリアでは 2/16 現在で両国の犠牲者は合わせて 4 万 2000 人以上にのぼり、現地ではいまも懸命な救助活動 が続いています。今のトルコ・シリアは日本と同じく冬。日が暮れればマイナス 5 度以下になります。避難所 となるような建物も全て倒壊し、残っていない中で、助かった人たちもテントもない野外で肩を寄せ合ってい るのが現状です。シリアは内戦の混乱の中で、支援のルートも少なく、救助や医療支援も難しく、正確な犠牲 者の数は把握されていません。
トルコは、明治時代に日本への訪問を終えた帰路のエルトゥールル号が和歌山県沖で台風に遭遇し座礁、500 名以上が犠牲となる大惨事になりました。近隣の町の住民たちは生き残って漂着した乗組員を救助、献身的に 看護し約 70 名の命を救いました。さらに不幸にも亡くなってしまった乗組員たちを丁重に埋葬しました。この 事件はトルコの教科書にも載っているため、トルコには今も親日家が多い理由となっています。
時が経ち、イランイラク戦争の際、イラン上空を飛行する飛行機を無差別撃墜するという宣言により、多くの 日本人がテヘランに取り残されました。日本政府が救出策を打ち出せずにいる中で救いの手を差し伸べてくれ たのがトルコでした。「エルトゥールル号の時に受けた恩義を返す」として危険を顧みずテヘランに救出機を 派遣、全員が無事にテヘランからの脱出に成功しました。
東日本大震災の際には沢山の支援物資や救援隊を送り込み、救援隊は各国の中で最長期間に渡って宮城県で支 援活動を行ってくれました。そしてトルコの人たちが、貧富の差を超えて、貧しい人たちまでもが募金活動を 行い、沢山の気持ちの詰まった義援金を送ってくれました。当時、宮城の 13 歳の中学生だった広瀬咲楽と震災 時にボランティア活動をしていた 15 歳の埼玉の高校生だった井上小百合。あれから 12 年。二人は俳優で、ミ ュージシャンになりました。
ひとり一人の力は小さくても、人の力が集まれば、大きな力になるかもしれません。
偶然、2 月 19 日にこの場所が空いたから使わないかという方がいて、偶然、スケジュールの都合がつきまし た。 偶然は必然。手探り状態の手作りイベントをやってみようと思います。りあるぱちもんずと仲間たちの公開音 合わせ+ミニライブをお届けします。お預かりしたお金は、トルコ大使館と国境なき医師団に送金させて頂きま す。このイベントを通して、少しでもトルコとシリアの人たちに心を寄せて貰えたら幸いです。
PLAY は音楽を奏でる事、演じる事、遊ぶこと。
PRAY は祈り。音楽も演じることも、根本は祈りです。 あの時あたたかい心を届けてくれた、遠い空の下の沢山のまだ見ぬあなたに、また出会えることを祈って。