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落語会ありがとうございました【後編】
「落語会ありがとうございました」の後編になります。遅くなってしまいすみません🙇♀️
自主稽古の日々では、花緑師匠との1回目の稽古でいただいた課題を一個ずつクリアするため、師匠との稽古動画を流してまたパソコンでベタ打ちして、文字でいつでも確認できるようにして稽古しました。
その間に落語ZINEの9つの記事のなかでやりたかったこと、「寄席をみにいく」や「深川江戸資料館にいく」など、『文七元結』の世界をもっと理解するために時間を見つけて思いつくことをやる毎日。自分から「この9つのテーマに沿って書きたい」とは言ったものの、いざやってみると大変だったけど、この時感じていることを書けたのは結構頭が整理できたのでよかったです。ウサラスタッフさんが可愛く作ってくれたのも本当にありがたかったです。
花緑師匠との2回目の稽古は本番まであと1週間というところで散々な出来でした。喋るスピードがとにかく早くなってしまい、台詞がよく聞こえないという状態に。
なぜこうなっているのか?たまたまこの一回がそうではなさそうだ、と師匠は見抜いてくださり、一緒に原因を考えて言葉にしてくださいました。そこで判明したのは「お手本の動画の師匠のスピードについて行こうとしていた」ということでした。何度も見返して何度も聴き続けたお手本に耳が慣れてしまったということが、気づかないうちにコントロールを失う原因になっていたんです。焦りと悔しさと、下手なものを見せてしまった恥ずかしさで涙が出そうでしたが、花緑師匠は「咲楽ちゃんはシンガーでもあり耳がいいんだと思う。だから今日からはバラードにアレンジして歌うつもりで、頭から全部ゆっくり喋ってみよう。自分のテンポを探ってみたらいいんじゃないかな」と言ってくださいました。その言葉で私は本当に救われました。
それからの1週間。「稽古の仕方がわからない」という迷路からは少しずつ抜け出してはいたものの、前述した“聴きやすいスピード”を掴むのにはとても時間がかかりました。緊張するとさらに早くなるので、「今早くなったかも」と少しでも思ったら「こんなにゆっくり喋ったら変なんじゃないの?」という頭の声を無視して、徹底してゆっくり喋る。ゆっくり、ゆっくり…。
ゆっくり喋っていると今度は集中力が散漫になって、頭が余計なことを考え始める。
「今の所作は雑だったんじゃないか?」
「必要以上に手を動かしてしまった気がする」
そしてある日稽古に付き合ってくださっていたウサラスタッフさんの前で、ついに本音がこぼれてしまいました。
「楽しくない」
本番まであと片手で数えるほどしかないのに、早く仕上げないといけないのに、上手くできない。噺を覚えた時は自分で喋れるということがあんなに嬉しくて楽しかった『文七元結』なのに、全然楽しくない。師匠の仰ることも自分の癖になってしまったポイントも理解できる、修正しようともがいている。だけどゆっくり話しているうちに気になることがどんどん出てきてしまって、頭がいちいち自分にジャッジをし始める。「今のはよかった」「今のは違った」
私はとても混乱していました。
その日ウサラスタッフさんとの雑談で、「昨夜のオリンピック、平野歩夢選手は凄かったね」という話題になりました。スノーボード男子ハーフパイプの決勝。怪我から1ヶ月も経っていないというのを感じさせない奇跡の滑りを見て、平野歩夢選手の覚悟と意地を見せてもらったなと思いました。
必要以上に恐れるとうまく行かないということや、絶対に手を抜かないという気持ち、それから“結果に手放しになる気持ち”をまた私に思い出させてくれました。
そうだこれはスノーボードじゃない。
落語では極論、間違えても死なない。
そう心なかでつぶやいてから始めた一回は、自主稽古を初めてからようやく早くならずに、冷静に、新鮮に、話し終えることができました。
落語会の当日は、朝から湯船に浸かり、緊張をほぐすストレッチをしました。
この日の朝はあえて稽古をせず、アップとして自分で書き起こした台本を見ながらゆっくり喋るのだけをやりました。
移動中はいつも聴いていたお手本の『文七元結』を聴かず、キースジャレットのアルバムやクラムボンのテンポの遅い曲を聴いてリラックスを心がけました。
会場に入ってから皆さんとリハーサルをしている時も、客入れ中の時間も、私はある一つのことをやろうと心に決めていました。
それは“自分のライブの当日のように過ごそう”ということ。ライブの日の私はなぜかいつも良い状態でいる、というところに目を向けてみたんです。変に緊張もしてない、そして油断もしてない。愛海さんと師匠とお喋りをして、用意していただいた美味しいお弁当をいただき、舞台を必要以上にビビらないように意識して過ごす。これは実験でもありましたが上手くいったので、また別の現場でも使えるかもしれない…!と大きな発見でした。
花緑師匠のお弟子さんである柳家花ごめさんが、私たちに綺麗なお着物を貸してくださり、楽屋で着付けをしてくださいました。
夏目愛海さんも仰っていましたが、この花ごめさんのお着物からもたくさんパワーをいただいて高座に上がることができたなと思います。
花ごめさんは怪談噺も得意とされているようで、花ごめさんのあたたかく優しいお人柄のイメージから怪談噺をされている姿が全然想像がつかなくて、とてもワクワクしました。必ず観に行きたいなと思っています。
花緑師匠が稽古の時に「本番は『つる』をやろうかな」なんて笑って仰っていたのを本当に『つる』をやってくださったので、めちゃくちゃ正面から観たかったのですが、この時自分の緊張のコントロールに命をかけていたので気が気じゃなくて、ああなんて勿体ない…!と楽屋でやきもきしました。師匠が会場をあたためてくださって、私とすれ違う時、「ご苦労様です」と言って微笑んでくれました。袖で見守る夏目さんからもエールをもらって舞台上に出ました。
自分の出番になって、高座に上がって、客席の景色を見た時のあの緊張感はずっとずっと忘れないと思います。
そして話し始めて少ししてから気がついたのは、「なぜかこの感じとても知ってる」という感覚。それは弾き語りでライブに立ってきた私が、今まで見てきた数々の客席の景色にワーっと重なりました。
ステージにたった1人。
すごく見られている。
自分が止まったら空間が止まってしまうという紙一重のあの感覚と、音を鳴らす自分と受け取ってくれるお客様とが一体となって一瞬一瞬のこの空間を作っているというあの感覚。
そこからは無我夢中であっという間に『文七元結』を話し終えていました。
音楽をやってきたことがまさかここで生きるとは思わなくて、これが私の落語なのかもしれないと何かを少しだけ掴めた日でした。
まるでリレーを走り次の人へのバトンを繋いでいるかのような感覚で、夏目愛海さんの『芝浜』を袖から見ながらまだ足が震えていたこと、夏目さんの磨かれた『芝浜』を見て、どんな日々を過ごしてきたのかもっと話をしたくなったこと。
座談会のことをあまり覚えていないこと、お客様からたくさん拍手をいただけたこと、花緑師匠やお手伝いいただいたお弟子さん方や事務所の皆さんから労いの言葉をたくさんいただけたこと。
当日は本当にたくさんの方の力で成り立っていたこと。たくさんのお客様がこの日を楽しみにしてくださったていたこと。
一つ一つ思い返して、私たちはものすごい経験をさせていただいたのだと改めて振り返っています。
たくさんの人の気持ちが今世まで繋いできた落語だから、私も大切にしていきたいと思えることがたくさん見つかった日々でした。
夏目愛海さんという素敵な俳優仲間に出会えたことも、お互いを信じて自分の高座をやり遂げられたことも私は一生の宝物になりました。
そして改めて大変お世話になった花緑師匠は、まるで師匠ご自身が一冊の大きな本のように感じられる。これからも師匠の落語を見続けたいと思いました。
最後に『文七元結』の長兵衛、おかみさん、お久、佐野鎚の女将、藤助、文七、鼈甲屋の旦那。この話に出てくる個性的なみんながこの時代に至るまで、どれだけの噺家によってこの物語に生きてきたんだろうと、最後は噺そのもののパワーに後押しされたようでした。
言葉にこんなにも力があるということが知れて、落語を学ぶことができて幸せです。
今回で落語を初めて観たという方も、ぜひ寄席にいってみてください。
話す人が変われば話も変わるということ、落語でいう”仁(にん)”というものの面白さがきっとわかっていただけると思います。
それからまたいつか落語をやらせていただけるとなった時は、ぜひ観にきてほしいです!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
広瀬咲楽

